少し古い話だが、第35代アメリカ合衆国大統領のケネディ氏は、「国民(あなたたち)が国に何をしてもらうかではなく、国民(あなたたち)が、国に何をできるかを問え」といった意味の演説をされたことがある。
これは、民主主義の基本である国民の権利と義務という当たり前のことを述べたに過ぎないのだが、この権利と義務の関係を、借方と貸方という形で表現し、世の中の経済活動を見事に説明してくれるのが、複式簿記の世界である。少し、オーバーかもしれないが、民主主義と資本主義になくてはならぬ道具、それが複式簿記なのである。
なぜ、こんな大上段から話を始めたかというと、最近の世の中の傾向として、このことを全く忘れているか無視している人があまりに多すぎる、あるいは増えすぎたということである。
つまり、権利の主張ばかりが先行し、一人歩きして、その裏腹にある義務と責任のことをないがしろしている人が多くなったということである。そして、借方=権利にたいする貸方の中身は義務や責任ではなく、恨み、妬み、嫉みなどのどす黒い感情がほとんどなのである。ある国や政党にも、そんな傾向が一部窺えるが、政治的な話はひとまず置いて、経営における労使の関係について考えてみよう。
昨今、労働基準法が整備され労働者の権利が強く守られるようになってきた。それはそれでいいのだが、たとえば、残業について考えてみよう。ある仕事において能力の高い人と劣る人では、どちらが仕事を早く終えるだろうか?能力の高い人は仕事が早いので、残業はない。逆に低い人は残業が多くなるので、必然的に給料は高くなる。単純作業でもこれであるから、判断を要する高度な仕事ではもっと差が出てくる。
それに、本当に仕事のできる人は、陰で努力をしている。人の働いていない時間に考えたり、調べたり、人と会ったりしているのである。そして、自分のスキルをどんどん磨いていく。まあ、中小企業のオーナー社長はほとんどそうであるが、一流企業のなかで出世する人も、おそらく普通の人の何倍も働いているし、そんなことで一々残業などつけない。管理職になると残業がつかないのはそういう意味である。
何が言いたいのかまとめよう。権利を主張する前に、まず、自分が一人前の仕事ができ、会社に貢献できているかどうかを問えということだ。周りの空気も読まず、休みたいときに休み、チームワークを乱す、仕事もないのに、やたら時間を引き延ばして残業をつけているようでは、むしろ会社に損害を与えているということだ。
借方(権利)と貸方(義務)はちゃんとバランスを取ってこそ、成立するものである。